自分と命を考える

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 韓国の盧武鉉前大統領が不慮の死を遂げました。良心の呵責に堪えかねての自殺とのことです。真偽のほどは定かではありませんが、何らかの悪行があったことは間違いないのでしょう。今回のニュースは前大統領の死ということで、非常にショッキングなニュースでありましたが、今この瞬間にも多くの方々が自らの命を絶っている現実があります。

 誰しもその時おかれた辛い状況から逃れたいということはあるでしょう。そのような状況の中、悲しいかな死(自殺)という選択をする人は世界中どこでも同じことだと思います。その方にとっては万策尽き果て、他に手だてがないという状況なのでしょう。

 以前、有志で行なっていた勉強会でも自殺について議論されたことがありました。その時の結論は少々概念的、ともすれば宗教的なものになってしまいますが、肉体と精神(思考)は別のものと捉え、肉体を通じて共存しているに過ぎない。脳があるから自らの考えが発達し、行動を起こすことは当然ですが、自らの考えで肉体である脳や心臓を単純に「我がもの」とするのはいかがか、というものでした。

 簡単に「自分」の命だから「自分」の意思で絶っても構わないというものではないということです。老衰であれ、何らかの病であれ、どんなに弱っても、その肉体は尽きるその瞬間まで「生きよう」とします。

 辛い状況から逃れるため。罪を償うため。何かを守るため。何かを隠すため。将来を悲観して etc・・・

 色々な理由があり、自殺については意見が分かれ、簡単に答えの出る問題ではありませんが、繰り返します。思考の如何に関わらず肉体は最後まで「生きよう」とします。もちろん肉体にも個体差がありますので、時間の長い短い、病気などによる異変もあるでしょう。しかしそれでも「生きよう」とします。それが自然の原理なのだと思います。

 「自分の命」という考えから「自分と命」と目線を変えるともう少し違う見方ができるのではないでしょうか。

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